|
国宝三十三間堂は、正しくは蓮華王院という千手観音 信仰の道場で「三十三間堂」の由来は南北に125m 東西に22m高さは大棟まで15mもある長大な御堂 内の柱の間数が三十三あることにちなんでいます。 平安時代の末、後白河上皇が創建(1164年)し、 約80年後に一度焼失しましたが、鎌倉時代(126 6年)に後嵯峨上こう |
|
|
の高い仏像です。どれもほぼ人間の高さぐらいで165〜1 67センチ。三十三間堂に詣でた |
|
人のおもかげを見い出すかもしれません。 |
|
|
のものまですべて等身大で気迫ある傑作揃いです。どの像も決まりきった 形の仏や菩薩とは違い、作者自身の創意工夫にまかせて創った趣きがかん じられますから、一像一像に個性と変化があるのです。的確な人体美から 割り出した湛慶の作風が多く鎌倉時代の躍動的で力強い背景が生き生きと 現れています。 |
|
江戸時代の18才の少年、和佐大八郎の総矢13053本、通し矢81 33本 |
|
|
|
|
|
|