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お釈迦様のお骨をまつった舎利殿 「金閣 |
閣寺とよばれていますが、正し くは「鹿苑寺」と言い、臨済宗 相国寺派の禅寺です。この地は 、鎌倉時代に西園寺公経の別荘 北山第が在りましが、足利三代 将軍義満が大変気に入り、応永 四年、西園寺家から譲り受け、 山荘北山殿を造りました。金閣 を中心とした庭園、建築は極楽 浄土をこの世に現したと言われ 、後小松天皇をお招きしたり、 又、中国との貿易を盛んにして 文化の発展に貢献した所で、こ の時代の文化を特に北山文化と 言います。義満の死後、 |
義満の死後、遺言通り夢窓国 師を開山とし義満の法号鹿苑 院殿から二字をとり、鹿苑寺 と名づけられた。 |
二層と三層は、漆の上から純金の箔がはってあり、屋根は椹の薄い板を何枚も重ねた こけらぶきで、上には中国でめでたい鳥といわれる鳳凰が輝いています。一層は神殿造で放 水院、二層は武家造で潮音洞とよばれています。三層は、中国風の禅宗仏殿造で究竟頂とよ ばれ、三つの様式を見事に調和させた室町時代の代表な建物と言えます。 昭和六十二年秋、漆の塗替や金箔の張替、更に天井画と義満像の復元を行いました。 |
金閣寺がとてもきれいだった。 |
もう一度行きたいです。 |