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焼。後に野久村仁清や尾形乾山などによって陶器の 焼き物・古清水が出来上がった。さらに、江戸中期 に入ると、陶器が清水焼の主流になった。京都の三 大伝統産業の一つにあたり、美術品として、また手 頃な土産物として人気がある。五条坂の途中から清 水坂と別れる清水新道は別名茶碗坂。通りの両脇に 陶器店や陶芸家などの住まいなどが選ぶ。また、五 条通はかつての陶器町。現在は清水焼など京陶器の 店が連なる。 |
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戒められ、清水山(音羽山)の山中に私立の仏殿を 建てたのがおこりで、798年に清水寺と号した。 奈良幸福寺勢力の京都での拠点になったため、平安 末期は比叡山の僧兵により何度も焼かれ、現在の堂 塔の多くは江戸時代の再建。本堂のほかに、市内が 一望できる西門や三重塔がある。昔も今も観光客が 必ず訪れる京名所の横綱、西国三十三ヶ所巡り第1 6番札所である。本堂は崖の上に張り出し、清水の 舞台として知られ、昔から絶体絶命の気持ちを「清 水の舞台から飛び降りる」というほど。平安時代、 実際に飛び降りた人のことが『宇治拾遺物語』に出 ている。139本の柱に支えられた舞台は高さ11 m |