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(1)図案・・・・先染の紋織物である西陣織にとって一番重要な工程。伝統的なデザインに新 しい感覚をプラスして描いていく。 (2)紋意匠図・・織物の設計図にあたるもので、方眼紙に図案を拡大して移しとり、どのよう な組織で織るかを方眼紙に塗り分けていく。 (3)紋彫・・・・紋意匠図に基ずき縦33インチ、横4,5インチ位の短冊型の紋紙にピアノ 式紋彫機を使って、径糸の上げ下げを指令する穴をあける作業。 (4)コンピューター ・・紋意匠図以降の工程をコンピューター化し、コンピューターグラ グラフィックス フィックスにより制紋し、フロッピーディスクを使ってコンピュ ータージャガードに織物情報を指示する。 (5)撚糸・・・・西陣織の中にも、様々な風合いを持った織物があり、細い何本かの糸を合わ せて、糸の太さを加減したり、糸に特別の撚りをかける工程。 (6)糸染め・・・図案とともに重要な作業の1つ。織元の指定通りの色に染めなければならな い。 (7)糸繰・・・・染色された糸は、カセの状態になっているがこれを整経や緯巻の工程で扱い やすいように糸枠に巻き取る作業。 (8)整経・・・・必要な長さと本数の経糸を準備する工程。 (9)綜こう・・・ジャガードの指令に基づきたて糸を上下に分ける装置。 (10)綴機・・・爪かきで紋様を表現していく織り方。 (11)手機・・・複雑な織物を織る。 (12)ビロードの線切り・・経糸を二重にし、一定の間隔で針金を織り込む。 |
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応仁の乱の時、堀川の東をとった細川勝元の東軍に対し、山名宗全軍が堀川の西、堀川一条に 陣をとったことから西軍の陣地。つまり西陣と呼ばれるようになった。 |
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京都盆地が日本に登場した5・6世紀の頃、大陸からの帰化人の豪族秦氏の一群が山城の地を 開拓し、その洛西の太秦を根拠地として、養蚕と絹織の法をここに移植した。宮廷の織物を掌 る役所である織部司は工人達を督励して盛んに高級な綾・錦等を織り出した。平安中期以後 律令機構が崩れるにつれて、官営工房も衰えてくるが織部司の東の大舎人町等に集住し、鎌倉 時代には(大舎人の綾)あるいは(大宮の絹)とよばれるものを盛んに織っていた。これが、 民業としての京都機織のはじまりである。江戸時代の前半期は、西陣機業の降昌期であった。 西陣は輸入白糸をほとんど独占して高級織物を掌握した。元禄・享保の頃は、織屋町約160 町、7000余台の機織りの音がかまびすしく、まさに西陣の黄金時代であった。江戸後期に なると、西陣機業は停滞斜陽化し幕末には特に沈滞する。享保15年のいわゆる‘西陣焼け’ と天明8年の大火が痛手となった。明治20年前後には洋式技術は西陣に定着し、西陣は日本 絹織業の近代的な技術革新の発祥地となった。大正・明治にかけては伝統的な手織り技術をい ちだんと高め、日本の近代絹織機業の最高峰として、布地・着尺の高級品ばかりでなく、力織 機の普及と共に大衆需要製品の上にも独歩の地位を占めている。 |
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西陣織は思っていたとおり歴史の深いものだった。実際に、西陣織を機織り機で織る体験をしたが とても楽しいものだった。また機会があったら体験してみたいと思う。西陣織について詳しく知る 事が出来た。 |