☆☆西陣織について

西陣織の出来るまで

(1)図案・・・・先染の紋織物である西陣織にとって一番重要な工程。伝統的なデザインに新
しい感覚をプラスして描いていく。
(2)紋意匠図・・織物の設計図にあたるもので、方眼紙に図案を拡大して移しとり、どのよう
な組織で織るかを方眼紙に塗り分けていく。
(3)紋彫・・・・紋意匠図に基ずき縦33インチ、横4,5インチ位の短冊型の紋紙にピアノ
式紋彫機を使って、径糸の上げ下げを指令する穴をあける作業。
(4)コンピューター ・・紋意匠図以降の工程をコンピューター化し、コンピューターグラ
グラフィックス フィックスにより制紋し、フロッピーディスクを使ってコンピュ
ータージャガードに織物情報を指示する。
(5)撚糸・・・・西陣織の中にも、様々な風合いを持った織物があり、細い何本かの糸を合わ
せて、糸の太さを加減したり、糸に特別の撚りをかける工程。
(6)糸染め・・・図案とともに重要な作業の1つ。織元の指定通りの色に染めなければならな
い。
(7)糸繰・・・・染色された糸は、カセの状態になっているがこれを整経や緯巻の工程で扱い
やすいように糸枠に巻き取る作業。
(8)整経・・・・必要な長さと本数の経糸を準備する工程。
(9)綜こう・・・ジャガードの指令に基づきたて糸を上下に分ける装置。
(10)綴機・・・爪かきで紋様を表現していく織り方。
(11)手機・・・複雑な織物を織る。
(12)ビロードの線切り・・経糸を二重にし、一定の間隔で針金を織り込む。

(13)整理加工・・蒸気の中を通し独特の風合いを出す整理加工の工程を通るものもある。
西陣という地名の由来

応仁の乱の時、堀川の東をとった細川勝元の東軍に対し、山名宗全軍が堀川の西、堀川一条に
陣をとったことから西軍の陣地。つまり西陣と呼ばれるようになった。

西陣織の歴史

京都盆地が日本に登場した5・6世紀の頃、大陸からの帰化人の豪族秦氏の一群が山城の地を
開拓し、その洛西の太秦を根拠地として、養蚕と絹織の法をここに移植した。宮廷の織物を掌
る役所である織部司は工人達を督励して盛んに高級な綾・錦等を織り出した。平安中期以後
律令機構が崩れるにつれて、官営工房も衰えてくるが織部司の東の大舎人町等に集住し、鎌倉
時代には(大舎人の綾)あるいは(大宮の絹)とよばれるものを盛んに織っていた。これが、
民業としての京都機織のはじまりである。江戸時代の前半期は、西陣機業の降昌期であった。
西陣は輸入白糸をほとんど独占して高級織物を掌握した。元禄・享保の頃は、織屋町約160
町、7000余台の機織りの音がかまびすしく、まさに西陣の黄金時代であった。江戸後期に
なると、西陣機業は停滞斜陽化し幕末には特に沈滞する。享保15年のいわゆる‘西陣焼け’
と天明8年の大火が痛手となった。明治20年前後には洋式技術は西陣に定着し、西陣は日本
絹織業の近代的な技術革新の発祥地となった。大正・明治にかけては伝統的な手織り技術をい
ちだんと高め、日本の近代絹織機業の最高峰として、布地・着尺の高級品ばかりでなく、力織
機の普及と共に大衆需要製品の上にも独歩の地位を占めている。
感想

西陣織は思っていたとおり歴史の深いものだった。実際に、西陣織を機織り機で織る体験をしたが
とても楽しいものだった。また機会があったら体験してみたいと思う。西陣織について詳しく知る
事が出来た。